船富家の惨劇」評 −井上良夫

 蒼井雄君の懸賞当選作「船富家の惨劇」も徹した面白味の作品として私を喜ばした。熱心な蒼井君なればこそこれだけのものが書けたのだと思って、読みながら幾度も感心した。日本の本格探偵小説には小栗氏の「黒死館殺人事件」ぐらいを除くともう外国作品に見られるような雄渾克明な長篇作品が一つもない。英米にも比類のない傑れた本格物の作家である江戸川乱歩氏すら、こういう作を持っていられぬので、日頃甚だ残念に思っていたし江戸川さんを憾みさえしているが、蒼井君の今度の力作が少なからずその渇を癒してくれた。スケールに堆大という感じがある点では「黒死館」を凌ぎ、本格物としては比類がない。情熱の点でも「黒死館」や「白蟻」に次ぐだろうし、その他探偵小説として極く重要な諸点でレベルを抜いている作品であるから、悪いところは一切引き去っても褒める所が未だ沢山に残ると思う。だがこの作品に就いては、同書添附の印刷物に江戸川大下両作家の感想文がついていて、これを読んでみると長所に就いても欠点に就いても云うべきことはスッカリ尽くされている。あれではあとはただもう人が代って同じことを繰返すだけのことである。それで、出来るだけ簡単に重複させて私の感想を述べておくと、
 先ず著しい欠点の個所としては、
 一、前段百頁余が書き方に工夫足りず興味が薄いこと。この間は発散する力作の香りに引かれて読み進む程度で、成功的とは云えない。文章のせいもあるが、実話風に堕して退屈である。もっと工夫出来ると思う。
 二、後段、赤垣探偵登場以後、犯罪解決の条が前半の重厚な興味と全く不釣合いなこと。この点は江戸川さん御指摘の通りであるが、私としては全篇を通じて最も大きい欠陥だと思う。前段に於ては作者の探偵小説への理解尋常ならずと敬服を重ねて来たのに、これはまたどうしたことであろうか。赤垣大探偵から受けた感じは、正直な所、講談本から塚原卜伝でも抜け出して来たような気がして困った。クロフツ流の現実的で克明な探偵小説にはああいう色彩の人物が出て来ては面白味が調和しない。
 三、折角工夫されたアリバイの面白味が充分出されていないこと。これも赤垣式解決が禍したのであるが、あれだけ緻密な犯罪計画であるから、後段これが徐々にあばかれて行く快味に乏しかったのは惜しい。特に最後の犯罪に対するアリバイ打破の所があっけない。
 四、犯人となる人物の登場が如何にもわざとらしく見えて、成功的でない。最初から無理にくっつけられてあるように見え、よくない読み方だが、大方これが犯人であろうという考えがすぐに出て来る。
 五、全体に亙り興味の焦点がクッキリしていない。この作品では、犯人の計略の面白味、つまりは犯人の犯罪経路を克明に辿って行くうちに読者探偵共々うまく犯人の好計にひっかかって、誤った予想を抱いたまま終末の意外へ引き入れられて行く、という面白味がもっと明瞭に生かされてほしかったと思う。犯人の擬装計画に次第に見えすいた拵えごとが増してくるために、読んでいる方では当の南波氏程には事々に驚かない。読者の方は一向傀儡になって来ないのは一部の失敗である。作者はいま一息、全篇を高所から眺めての配列を工夫するとずっといいものになっていたと思う。後段の失敗などもこの辺の見方が充分でなかったからではあるまいか。
 このうち二と五の二項は、今後の力作にも備えて御一考を得たいと思う。
 感心した主な点は、
 一、異常な情熱を以って組立てられた犯罪計画の克明さには讃歎の外はない。この点比類なく、スケールの雄大さと俟って読む人を打たずにはおかないだろう。正に蒼井君の本領が遺憾なく発揮せられていると思う。
 二、犯罪事件と風景描写とが一つになって、特異な面白味を築き上げていること。凄愴にして不気味な面白味である。この点は少しく筆を費しておきたい。一体欧米の探偵小説はいくら殺人事件がふんだんに取り入れられていても、現実的な恐ろしさや物凄さを描き現わすということが尠ない。よい例としてヴァン・ダインの作品などがそうで、例えば「僧正殺人事件」の如きも一再ならず殺人があるが、恐ろしいという現実的な感じは全篇を通じて少しもなく、むしろ悉くが美しくさえ感じられるのである。現実感の多分にあるオースチン・フリーマンやクロフツなどにしてもやはりそうで、殺人事件はそれ程恐ろしくは描いてない。多少とも美化せられている。(尤もクロフツと、それからフィルポッツとには幾分恐ろしい感じがある。)殺人が絶えず取り入れられ、他殺屍体の描写は多かれ少なかれ必ず取り入れられているにも拘らず、欧米の探偵小説にはそれらに本来附き纏う筈の現実的な不気味さが描かれていないがために、この種の読物が絶えず旅行の伴侶とされたり炉辺の読物に選ばれ、婦女子にも容易に親しまれるのであろう。だから今度の蒼井君のものの如きは、それらとはガラリと違った面白味を持っているのである。作者は恐らく実際の殺人事件などを研究した記録書様のものなど愛読した人なのであろうか、あの種の記録に独特な一種恐ろしい面白味がこの全巻を覆っているのだが、それが作者の情景描写の特異な筆致とうまく結びついて、現実的な恐ろしさが実によく浮き出てい、見事な装飾を作っている。これは日本人向きな面白さであるかもしれない。とにかく欧米であったら夜更けての炉辺の読物には選ばれそうにはない。
 右の面白味こそ「船富家の惨劇」を包む雰囲気として非常に魅力を覚えさせられたが、就中この面白味は百五十頁あたりから始まる東熊野街道附近抹索の個所(第五章追跡の一章)に於てその高潮に達し、ここばかりは作者の筆が見違えるばかりに生々として、完全に不気味さの中に引き入れられる。サスぺンスも満点に近く、寂蓼たる感じきえ加わって、全篇中最も完璧な出来栄であると思う。
 これは全く理屈も何もない、妙なことを話すが、私のこれまでの読書経験から云って、この傾向の本格物で、右の一章が持っているような、全く途方に行き暮れてしまったという感じ、前途暗澹、寂漠とした気分が犇々身に追って来るような気のするものは、ごく傑れた作品にしか見出されない。逆に、この種の本格物で、右のような気分の出ているようなものは必ず相当な出来栄の作品であった。(それはこうした現実的な探偵小説は多く右のような面白味を追っているからでもあるが)そんなわけで、私は「船富家の惨劇」中、愈々この東熊野街道方面探索の個所に差しかかって、これはどうも大したものだと感心してしまった。蒼井君流の凄絶な色彩に於て涼々たる感じがクッキリと出ているのである。惜しい哉この面白味は最後までその高さを続けて行かなかったけれども、作者は実にいい所を持っていると思った。表面上の面白さでは私はこの一個所に最も興味を煽られた。
 まだまだ挙げるべきことは多いが、主だった点のみの感想である。蒼井君の健闘を欲してペンを擱く。

初出誌「ぷろふいる」1936年7月号/底本「別冊幻影城」1977年9月号「蒼井雄」No.13


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